月別アーカイブ: 2015年2月

2/22 OA楽曲とコメント

ザラ・ネルソバ

S.ラフマニノフ作曲:チェロソナタ ト短調より第3楽章
演奏:ザラ・ネルソヴァvc、アルトゥール・バルサムpf
ラフマニノフはロシアのピアニストとしても作曲家としても有名でロシア音楽史に於いて、チャイコフスキー以後プロコフィエフ以前の空白を埋める貴重な作曲家です。
ラフマニノフは1873年のエプリールフールの日、ロシアにそんなものが有ったかは知りませんが、4月1日の生まれです。ロシアの大地主で言わば殿様の家に生まれ4歳よりピアノの才能を認められたと言いますから一種の神童だったのでしょう。ところが9歳の時に家が破産してしまい、両親は離婚しラフマニノフは母と共にペテルブルクに移住します。彼は奨学金を得てペテルブルクの音楽学校にいくんですが、素行が悪くて学校を追い出されモスクワの音楽院に移ります。
そこで、アレンスキーに和声学を、タニエフに対位法をまなびます。何と豪華な教授陣。同級にスクリアビンがいて卒業の時には彼と主席の座を分け合ったと言います。卒業して本格的に作曲をし、ついに交響曲を作曲します。ところがその初演は作曲家のグラズノフが指揮したらしいですが、それが下手で大失敗だったようです。それが元でラフマニノフは神経衰弱になり作曲出来なくなります。そこに精神科医が登場して治療した結果、彼の最高傑作であるピアノ協奏曲第2番を作曲します。
その直後に書かれたのがこの唯一のチェロソナタなんです。他の作曲家のチェロソナタよりもピアノが難しいので有名なこのソナタは、4つの楽章からなり、3楽章はゆっくりしたテンポでメンメンとチェロが歌い上げます。後にこの楽章だけピアノ線独奏曲として編曲されております。
因みにラフマニノフは1917年ロシア10月革命時に家族と共にアメリカに移住しており生涯ロシアに帰る事は無かったと言います。
演奏しているザラ・ネルソヴァは戦中戦後と活躍したカナダの女性チェリストで当時としては珍しい女性チェリストででした。何故女性チェリストが少ないかと言えば、構える姿勢でチェロを挟むのに大きく足を拡げてそれが女性としてはした無いと思われたからだと思います。
彼女のチェロは男性的でナヨナヨした所が有りません。美人だったので余計に対照的でしたね。

石川静
A.ドヴォルザーク作曲:4つのロマンティックな小品より第3曲ロマンス
演奏:石川 静vn、ヨゼフ・ハーラpf
ヴァイオリンとピアノの曲で短い小品集です。その第3曲眼がロマンスで流石にメロディーメーカーだけあって美しい曲になってます。
石川 静さんは中学生の時に当時共産国であったチェコに渡ってヴァイオリンを勉強され1972年開催のヴィニアフスキーコンクールで第2位になられました。そして、チェコフィルハーモニーのソリストとして日本に凱旋帰国演奏を行いました。以後日本でよりもむしろチェコを初めとするヨーロッパで活躍されました。現在では日本とチェコを行き来しながら演奏活動をなさっておられます。
僕は過去に何度となく彼女の演奏者を聴きましたがどれも素晴らしかったです。特にヨゼフ・ハーラ氏とのデュオは特筆ものでハーラ氏の何もかも包み込むような柔らかいピアノにどちらか言えば硬質でガラスの様な透明さとチカラ強いヴァイオリンの組み合わせは素晴らしかったです。ハーラ氏が高齢の為引退されてから彼女は室内楽に傾斜し、現在は主にクーベリックトリオのメンバーとして活躍されておられます。

2/15 OA楽曲とコメント

(演奏会の実況録音)アントニン・ドボルザーク作曲;ピアノトリオ「ドゥムキー」op90、第2楽章
演奏:玉井菜摘vn、ヤン・ソンウオンvc、岡田将pf
ドヴォルザークの室内楽のみならず全作品の中で一番メロディーが美しくしかも次から次と紡ぎ出されるのはこの曲を置いて無いでしょう。タイトルのドゥムキーはドムカの複数形でドゥムカはウクライナ当たりのスラブの叙事詩で吟遊詩人が歌ったとされています。そういうゆっくりとした部分と早い部分が交互に出てくる音楽です。全楽章は6楽章からなり、早い楽章、ゆっくりした楽章が有るんですが、その一つの楽章の中に早い部分とゆっくりした部分が有り退屈させません。メロディーの万華鏡と呼びたいです。
演奏は当時の若手ナンバーワン、ヴァイオリンの玉井菜摘、ピアノの岡田将、に韓国のトップチェリストであるヤン・ソンウオンを加えたスピカの演奏会の実況録音です。

澤和樹 蓼沼恵美子
ロベルト・シューマン作曲;「おとぎの絵本」より第1楽章
演奏;ヴィオラ澤和樹、ピアノ蓼沼恵美子
ヴィオラと言う楽器はヴァイオリン族に有って何か中途半端な楽器のように思えるのですがこう言う曲を聴くとヴィオラっていいな~と思います。ヴァイオリンとチェロの間を埋める楽器でヴァイオリンを弾く人が時々ヴィオラパートにまわる、という風にオマケ的な存在から独立した個性有る楽器として認めたのはシューマンからじゃ無いかと思います。モーツァルトは例外的にヴィオラを愛した作曲家ですが、それはチェロを低い音でゴソゴソ這いずり回るようなところを嫌ってたので、その代わりヴィオラを好んだんじゃ無いかと思います。
この曲のタイトルは絵本と有ります。それは言葉を補いより一層ファンタジーを作り出す絵本の「絵」のような役割をする音楽という意味で着けられたんだと思います。ロマン派の音楽はいよいよ文学との相互乗り入れに入って来ました。
演奏はゲストにお願いした日本ヴァイオリン界の巨匠澤和樹さんと奥様でピアニストの蓼沼恵美子さんなのですが、澤さんはお仕事の関係でお越しになれず奥様だけでのご出演でしたがご主人がおられない分ご自由にお話し頂きました。とても素晴らしい音色で演奏頂きました。

2/8 OA楽曲とコメント

STAMIC QUARTET ドヴォルザーク

アントニン ドヴォルザーク作曲;弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」ヘ長調 第2楽章
演奏:コチアン弦楽四重奏団
1892年ドヴォルザークは再三に渡るお誘いで嫌な船旅、そうでした、彼は鉄道マニアで船は嫌いだったのです、で長い時間をかけてニューヨークのニューヨーク・ナショナル音楽院の院長に就任しました。ここの給料は凄く多く彼はせっせとプラハに送金していました。
また音楽的にも大いに収穫が有りました。
先住民族、所謂インディアンや黒人音楽に接する機会が出来たのです。黒人霊歌の編曲者を家に招いて歌を聴いたりしました。その結果、新世界交響曲、チェロ協奏曲、そしてこのアメリカ弦楽四重奏曲が誕生しました。
「アメリカ」は音楽院の学生だったコヴァリックの父親に家に招待され、大いにこのアイオワ州の風土が気に入り彼の一家が演奏する様にとこの曲を何と3日間で書き上げました。
初演はボストンでクナイゼル四重奏団によってなされました。
彼の弦楽四重奏曲では2番目に短い曲で不要な部分は無く濃縮された感じがします。
2楽章は郷愁と言う言葉が解らない人はこれを聴けと言う様に説説と歌っています。

蓼沼恵美子さん ブラームスjpg
ヨハネス・ブラームス作曲ピアノ5重奏曲ヘ短調
演奏:蓼沼恵美子pf、ヘンシェル弦楽四重奏団
この曲は当初弦楽五重奏曲(vn2本、ヴィオラ、チェロ2本)として書かれたらしいです。試演したところ評判が悪くお蔵入りになりました。2年後にもったいないと言う事で2台のピアノの為のソナタとして書き換え初演したところブラームスも気に入り出版、現在でもしばしば演奏されています。
周囲の意見を入れピアノ五重奏曲として完成したのはその翌年、1864年です。
1、4楽章にブラームスとしては挑戦的な和声進行が有ったり4楽章に半音階上昇など革新的なところも見せている曲です。
演奏されているのは公ちゃんが学校の(桐朋学園)室内楽の授業の先生で有り日本を代表するヴァイオリニストの澤和樹さんの奥様でもある蓼沼恵美子さんと若手ナンバーワンの弦楽四重奏団であるヘンシェル弦楽四重奏団です。
ヘンシェル弦楽四重奏団は兄弟に他人のチェロを加えて1994年に結成された団です。世界中のコンクールで1位を撮りロンドンのウィグモアホールなどでリサイタルを行っている団体です。

2/1 OA楽曲とコメント

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J.S.バッハ作曲;無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調よりガボット
演奏:青木十郎
バッハが作ったチェロの為の最高傑作である無伴奏チェロ組曲は、ベートーベンが作曲した5曲のチェロソナタと共に旧約聖書、新約聖書と呼ばれチェロ音楽の最高傑作で有ります。バッハの6曲はどれも難しく難易度が高いです。中でも6番は元々5弦のチェロの為に書かれた事がわかっております。6番だけがやたらとハイポジションを要求しており、他の5曲とは全く様子が異なります。
演奏者の青木十郎さんは日本チェロ界の草分け的存在で、まだ日本に本格的なメソードが導入されてなかった時代からチェロを始められてました。そして、この難曲をレコーディングされたのが85歳なんです。ビックリです。85歳まで生きるだけでも優しい事では無いのに、この様な素晴らしい録音を残されました。そんな青木十郎さんも昨年お亡くなりになられました。
A.ドヴォルザーク作曲;チェロ協奏曲 ロ短調
演奏:ルイス・クラレットVc、藤岡幸夫指揮 日本フィルハーモニー管弦楽団
2002年8月29日にこの演奏会は行なわれました。
紺野美沙子さんのナビゲーションで開始されたこの演奏会はオートバックスの協賛で行なわれ多くの方々に絶賛されました。数あるチェロ協奏曲の中での最高傑作とも言われ演奏回数も恐らく一番だと思われます。ドヴォルザークがアメリカの音楽学校の校長として行ってた時の作品の一つで新世界交響曲とか弦楽四重奏曲アメリカなどと共に書かれました。