月別アーカイブ: 2015年4月

4/26 OA楽曲とコメント

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 カザルス演奏

A.ドヴォルザーク作曲:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104
演奏:パウ・カザルスvc,アレキサンダー・シュナイダー指揮,1960年度カザルス祝祭管弦楽団

チェロ協奏曲の中でも最高傑作と言う位置付けで有るこの協奏曲はドヴォルザークが仕事でアメリカに移った間に書かれた傑作の中の1作品です。頼まれてアメリカに渡り給料も沢山ドルで貰って良かったのですがやっぱりボヘミアの故郷が懐かしく、それはその時に書いた色んな作品、新世界交響曲、弦楽四重奏曲アメリカ、そしてこのチェロ協奏曲に色濃く現れてます。
演奏しているのはカザルスなんですが、彼は無類の頑固親父で、故郷スペインの共和国政権をフランコ将軍が軍隊を使って倒し政権を取ってしまいました。共和国側は義勇軍を募って戦いましたがフランコは正規軍を使って戦いましたので共和国側には勝ち目が有りません。
フランコはナチス、ヒットラーと手を組んでました。それで当然欧米諸国はフランコ独裁政権に反対するとおもいきやアッサリとフランコ独裁政権を承認してしまいました。一掃された共和国側は隣国であるアンドラとかフランスに亡命してフランコ独裁政権に反対していましたが、それは負け犬の遠吠えでした。カザルスは元々共和国になる前から王室の庇護を受けたりしていましたのですが時の流れと言いましょうか、民主化を求める国民の側に立ちました。当初、フランコが政治介入するまでは上手く共和国政府は統治してたのですが突然のクーデターにあっという間に倒れてしまいました。それに一市民としてカザルスは怒り、彼の世界一高いと言われたギャラが示す様に世界中の政治家、権力者と人脈が有って、それを使って何とかフランコ政権を外部の圧力で転覆させようと奔走しましたが結局、どの国もフランコを支持しました。これにまた立腹したカザルスは、以後フランコ独裁政権を認める国では演奏はしないと宣言しました。
中でも彼のファンがたくさん居るアメリカの音楽関係者は困りました。特にアメリカの経済や文化、言論を支えて居るユダヤ人達は自分達もナチスによって多くの人々が犠牲になったと言う同じ立場で有るのに演奏をして貰えない事を何とか翻意して貰おうと説得しましたが、カザルスは首を縦に振らなかった。それでは、我々の方からプラードへ行って国際音楽祭をやり、それをコロンビアレコードが録音して世界中に一手販売し、収益金をスペイン難民の支援に使うと言う条件でようやくOKを取り付けました。それが有名なプラード音楽祭です。
しかし、プラードと言う村は小さな村で演奏会場も無ければ宿泊施設も有りません。それで音楽祭の場所をリゾート地であるペルピニアンに移したりしましたが、そうこうしているうちにカザルスはプエルトリコからカザルスに教えを受けるために来ていた生徒のマルタと恋仲になり結婚してしまいました。カザルスは最愛の母と同国の生まれのマルタに母の面影を見たのでしょう。そして、年の差婚の二人は年中暖かいプエルトリコに引っ越します。それと同時にカザルスを慕う多くの人もプエルトリコを訪れる様になり、そこで音楽祭が行われる様になりました。
世界中の若い上手な演奏家がプエルトリコに集まって室内楽をやったり、オーケストラを組んだりしてカザルスと共演しました。
この曲のオーケストラはそういうオーケストラです。指揮はカザルスの一の子分とも言うべきアレキサンダー・シュナイダーです。彼は解散するまでブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者でした。
カザルスの渾身の演奏です。

東京カルテット ラヴェル

モーリス・ラヴェル作曲:弦楽四重奏曲 ヘ長調
演奏:東京カルテット

ラヴェル唯一のカルテットです。よくレコードの裏面表面にされるのがラヴェルとドビュッシーです。ドビュッシーがカルテットを書いて10年後にまだ若かった時代の作品です。この曲に対してライバルだったドビュッシーは良いとこを見せようとしたのかも知れませんが、大絶賛しました。ラヴェルはひょっとすると気持ち悪かったかも知れませんね。
しかし、この作品はドビュッシーに勝るとも劣らない出来栄えでフランス印象派室内楽を代表する2大弦楽四重奏曲と言う地位を確立しています。
演奏してるのは弦楽器王国日本を代表する東京カルテットです。海外のコンクールで優勝し、そのまま日本で活動せずにアメリカに行って大成功した日本初の国際的なカルテットです。
メンバーは当初桐朋学園の卒業生で組まれましたが、それぞれ個々の事情から名前だけ東京カルテットでしたが外人が加わり、現在は惜しまれて解散してしまいました。

 

 

4/19 OA楽曲とコメント

カザルス バッハ2097

J.S.バッハ作曲:無伴奏チェロ組曲より第2番ニ短調 第1楽章プレリュード 演奏:パウ・カザルスvc

1876年にスペインのカタロニア地方の都市バルセロナから車で1時間程の町ベンドレルで生まれたカザルスはお父さんがアマチュアの教会オルガニストで子供の頃から音楽と共に育ちチェロの演奏をする様になった。お母さんが大変偉い人でパウの音楽的(音楽だけじゃ無く全てに才能が有ったと思われますが)才能を見抜いて貧しい中でもパウに音楽教育を受けさせました。お金が無い時には自分の髪の毛を切って売ったと言う逸話が「カザルスとの対話」と言う本の中で紹介されて居ます。最初は近い都市で有るバルセロナで勉強させていましたが良い先生を求めて首都マドリッドに移った時も旦那を放ったらかしてお母さんも付いて行きました。良い旦那ですね。 パウが14歳の時に楽譜店で偶然バッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を発見し、その音楽的な内容の多彩さ、深さ、偉大さに驚嘆しその楽譜を買ってしまったのが彼とバッハの出会いです。 現代では、バッハの偉業について誰も異論は無いですが、バッハが生きていた時代ではバッハよりテレマンとか、ヘンデルの方が国際的評価が高かったのです。そして、バッハの名声はドイツの東、ライプチッヒ方面当たりでしか名前は有名で無かったのです。 彼の音楽は表面的な面白さは少なくより内面的で哲学的意味をも含んでいるので敬遠されたのでしょう。 しかし、後年メンデルスゾーンがバッハの偉大さに気付いて、イヤ、他の作曲家も偉大さには気付いたものの自分の作曲の手本として勉強はしてもそれを優れた音楽作品として演奏するまででは無かったんでしょうね。メンデルスゾーンはばっはの最高傑作であるマタイ受難曲をライプツィヒで復活上演しバッハの音楽史上の偉業を認めました。 しかし、やはりあまり演奏される事は少なかったんでしょう。 無伴奏チェロ組曲は印刷された楽譜として発売されていたものの、その全体を演奏する人は殆ど居なかったらしいです。ガボットとかメヌエットの楽章だけを取り出して演奏会で弾く人は居てた様ですが。カザルスはそれをベートーベンのチェロソナタに匹敵する、いやそれ以上かもしれない作品で有ると認めて演奏会で取り上げた最初のチェリストであったと言われています。 彼は14歳の時に楽譜を見つけてから14年掛けて研究し演奏したそうです。

ラヴェル ピアノ三重奏曲

モーリス・ラヴェル作曲:ピアノ三重奏曲イ短調 演奏:マリア・デラ・パウpf、ヤン・パスカル・トルトリエvn、ポール・トルトリエvc

ラヴェルは1914年にこの曲を作曲しました。ラヴェルはよくドビュッシーとセットで扱われますね。印象派と言う括りで。2人は弦楽四重奏曲をどちらも一曲しか書かなかったです。ピアノ三重奏曲もそうですね。ドビュッシーのピアノ三重奏曲は若いまだ学生の時に作曲され長い間楽譜が発見されなかったのです。僕が立命館大学に行ってた時にはこの曲は有りませんでした。 ラヴェルは大作曲家になってからこの曲を作曲しましたので、内容は非常に充実してます。 彼がピアノ三重奏曲を作曲するに当たって留意した点は三つの楽器が同時に演奏している時に、如何にそれぞれの楽器がかぶらない様に聴かせるかと言う点だったらしいです。そして彼の代名詞で有る色彩感をどう出すか?その為通常のピアノトリオではあまり使われないトリル、トレモロ、ハーモニックス、グリッサンド、アルペジオ等が多用され演奏を難しいものにしています。第1楽章では彼のお母さんの出身で彼自身もそこで生まれたバスク地方の音楽が使われています。8分の8拍子。4+4ではなくて3+2+3と言う変拍子が使われておりそれが東洋の音階、旋法とあいまって不思議な美しさを出しています。 この曲を作曲中に第1次世界大戦が勃発しフランスが参戦し熱血漢だった彼は急いでこの曲を仕上げ戦争に行きました。 演奏しているのはチェロの巨匠トルトリエとその子息、息女です。娘さんの名前のパウと言うのはトルトリエが神の様に崇拝したカザルスのファーストネーム「パウ」から取ったらしいです。

4/12 OA楽曲とコメント

Debussy Ravel String Quarets

クロード・ドビュッシー作曲:弦楽四重奏曲 ト短調
演奏:エマーソン弦楽四重奏団
弦楽四重奏の歴史に大きな一石を投じたこの弦楽四重奏曲は彼が31歳の時に制作開始しました。ハイドンが確立した弦楽四重奏の形式を破って新しい作品がうまれたのです。
しかし、当時はあまり大きな反響はなかった様です。形式的にはフランクが考えた循環形式を使っていてそれ自身は革新では無いんですが、和声の決まりを打破した功績は大きいと思います。現在クラシック音楽に於いて使われているドレミファじゃ無く教会旋法とかガムラン音楽で使われている和声を使ったりしています。従来の約束事を使わなくても美しい音楽は作れると言う証明をしましたね彼は。

 
カミユ・サンサーンス作曲:白鳥(動物の謝肉祭より)天野武子さん演奏
チェロといえばこの曲ですね。皆んなが知ってるポピュラー曲です。やはりサンサーンスは駄作も書いてますが天才ではなかったと思いますね。鏡の様な水面を一羽の白鳥が静かに泳いでいる情景が目に浮かんできます。因みにチョー頭が良かったサンサーンスは賢くも無いのに偉そうにしたり高い社会的地位に居る人達を腹の底では馬鹿にしていました。そういう気持ちを音楽で表現したのが動物の謝肉祭で有ると思います。ですから、鼻持ちならない俗人達を動物になぞらえ皮肉を込めてしかし、美しい音楽を書きました。そんな曲集の中で唯一真面目に書いた曲が何故かチェロと2台のピアノの白鳥だと言うのはどう言う事でしょうかね。

4/5 OA楽曲とコメント

ポール・トゥルトリエ

クロード・ドビュッシー作曲;チェロソナタより第2楽章
演奏;ポール・トルトリエvc,ジャン・ユボーpf
ドビュッシーは亡くなる少し前に6曲からなるソナタ集を作曲しようとしてましたが結局完成したのはヴァイオリンソナタ、フルートとヴィオラとハープの為のソナタの3曲でした。どの曲も短い曲です。
チェロソナタはその中でも良く演奏される曲と言って良いでしょう。チェリストにとっては重要なレパートリーです。チェロのレパートリーではやはりドイツ系の作曲家のものが多くを占めます。バッハ、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームスと言う風に名曲が並んでいます。その点ではドビュッシーは貴重なフランス系のソナタです。
僕も挑戦しようと思うんですがどうも感じが出せなくって、いつまでも完成しません。
特にこの曲の2楽章、ピッチカートの多い楽章ですが、弾いても様になりません。親友のルイス・クラレットさんにどうすれば上手に弾けるか質問しました。彼は冗談も半分入っていたと思うんですが、彼の答えは酒飲んで弾けでした。酒を飲んで道を歩くとあっちへフラフラこっちへフラフラと重心が定まらず、時々シャックリもする。そう言う感じで弾くんだと教えてくれました。残念な事に僕は酒を今やめています。もう弾けないのかな~。

カタロニア民謡、パウ・カザルス編曲「鳥の歌」
演奏;天野武子vc
カザルスといえば鳥の歌ですね。国連総会でアイザック・スターンやアレキサンダー・シュナイダー等のカルテットに伴奏させてこの曲を弾きました。世界平和にとって国連は無いよりまし程度の役割しか果たせてない事を皮肉ってる様でも有りました。正義感の塊の様な人だったカザルスは自分が体験したスペイン内乱とフランコを擁護した欧米諸国に彼なりの制裁と意思表示を込めて絶頂期で有りながらそれ等の国では演奏しなくなりました。
仕方が無いので彼の信者達が彼が住むフランスのプラドに押しかけました。そしてそれを音楽祭として一定期間だけ限られた人々の前で世界のトップ演奏家達と演奏しました。

3/29 OA楽曲とコメント

サンサーンス チェロ協奏曲

カミユ・サンサーンス作曲:チェロ協奏曲第1番イ短調
演奏;ジャクリーヌ・デュプレvc,ダニエル・バレンボイム指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団
天才サンサーンスはチェロ協奏曲を2曲残しています。しかし、もっぱら演奏を良くされるのはこの曲ですね。第2番の方は実演でまだ聴いた事が無いです。3楽章からなっていて、切れ目なく繋がってるんです。6大チェロ協奏曲に入ってます。と言うか6曲以外ではエルガーとショスタコービッチの1番がよく演奏される様ですが、チェロ協奏曲の夕べと言うコンサートが有れば大抵この6曲で収まるんです。因みにその6曲とはハイドンのニ長調、ボッケリーニ、ドボルザーク、サンサーンス、ラロ、シューマンです。
実はこの曲を卒業試験の曲に選んだんです。僕は。大体音大の試験曲と言うのは1人15分程度でして、大体はみんな第1楽章を演奏するんですが、僕もそう思ってました。第1楽章なら楽勝と思ってました。ところが第1楽章は短くて10分位しか無いのです。じゃあ2楽章も弾くかと思ってましたが2楽章は静かな曲で華々しく終わりません。そこで僕の先生はそれじゃあ色々オーケストラ テュッティ(ソロが休んでてオーケストラだけで演奏する箇所)の所や省略して全楽章弾きましょうと言うことになってしまったのです。3楽章に難しい所があってこれを克服するのに大変時間がかかりました。又、オリジナルと比べるとソロで有るチェロに休みが無く15分間弾きっぱなしでした。
でも、とても明るくて良い曲でした。

 
モーリス・ラヴェル作曲;ピアノ組曲「夜のガスパール」より第1曲「オンディーヌ」
演奏;岡田 将
才能が有りながらも存命中は認められる事無く貧困と病気の中で死んで行ったフランスの詩人ベルトランの詩にインスピレーションを得て書かれたピアノ独奏用の組曲の第1曲がオンディーヌです。ベルトランはボードレールに影響を与えた詩人らしいです。幻想的で怪奇性がある詩を残してるそうです。オンディーヌと言うのは水の精の名前です。オンディーヌは人間の男に一目惚れしてしまって「私と結婚して水の王に成って欲しい」と求婚するんですが拒絶され、泣くのですが暫くして高笑いして消えてゆくと言う詩です。怖いちょっと手前と言う感じですね。悲しい筈なのに笑う。これが怖さを含んでるんですね。
非常に難しい曲だそうです。難曲。
演奏してる岡田 将さんはそんな事を全く感じさせない様な見事な演奏ですね。
4月17日金曜日に朝日新聞浜離宮ホールでベートーベンのピアノソナタのリサイタルをなさいますので是非聴きにいきましょう。